★先人たちを紹介します。★
名前 | キャッチフレーズ | 功績 | その他 |
飯泉喜雄 | 我孫子駅開設の功労者 | 明治29年12月29日日本鉄道土浦線として開通まちの発展のため私財を投じて駅用地を無償提供した | 我孫子駅南口蒸気機関車の顕彰碑 |
岡田武松 | 気象学の父 | 天気晴朗ナル浪高カルベ」と打電で有名 | 中央気象台が布佐町に設置され60年、今は気象台記念公園になっている |
嘉納治五郎 | 柔道の父、日本体育の父 | 昔からある柔術を習得して独自に柔道を作った治五郎は「精力善用」「自他共存」を柔道の精神とした | 講道館柔道の創始者 |
志賀直哉 | 小説の神様 | 27歳のとき「白樺」を創刊。我孫子には大正4年~12年の間我孫子に住んでいた | 暗夜行路など |
杉村楚人冠 | 新聞界の先覚者 | アサヒグラフ」を創刊。近代日本のジャーナリズムに貢献 | 大英游記など |
血脇守之助 | 野口英世の育ての親 | 日本歯科医学の開拓者。野口英世の才能を見抜き援助し続けた | 手賀沼のほとりに建つ血脇守之助碑 |
中野治房 | ガシャモクを発見した植物学者 | 湖北出身の植物学者。手賀沼の水草を調査してガシャモクを発見 | |
松岡鼎 | 松岡5兄弟の長男、柳田國男の兄 | 医師として布佐に永住、布佐文庫の設立など医療と公務に励みまちの発展に努めた | 柳田國男記念公苑資料館 |
村川堅固 | 日本の西洋研究の先駆け | 住食衣主義を提唱し、和洋折衷の近代的な別荘を後世に残した | 旧村川別荘 |
名前 | キャッチフレーズ | 功績 | その他 |
柳宗悦 | 民衆芸術の発見者 | 民芸運動を興す。学 習院仲間だった志賀 直哉、武者小路実篤らと共に文芸雑誌「白樺」の創刊に参加 | 声楽家妻兼子、白樺派のカレー |
河村蜻山 | 陶芸家 | 近代陶芸における 美術陶芸家のひとり | 楚人冠句碑制作 |
坂西志保 | 評論家 | 教育者 戦後民主主 義の女性リーダー的 存在 | 生きて学ぶ |
瀧井孝作 | 小説家、俳人 | 志賀直哉を師と仰ぎ 我孫子に移り住む瀧井文学の特徴は「生のまま」「素のまま」 | 無限抱擁 |
中勘助 | 小説家、詩人 | 夏目漱石の門下の三羽烏と呼ばれた。 | 銀の匙 |
バーナードリーチ | イギリス人陶芸家 | 西洋と東洋の陶芸文化の懸け橋となる | |
武者小路実篤 | 小説家、白樺派の文人 | 志賀直哉・柳宗悦・有島武郎らと雑誌「白樺」を刊行。 実篤は、文学のほか美術、演劇、思想、と幅広く活躍した。 | 色紙 仲よき事は美しきかな |
柳田國男 | 日本民俗学の父 | 古くから伝わる信仰や民間伝承などを研 究し、日本の民俗学の礎を築いた | 遠野物語 |
山下清 | 放浪画家 | 裸の大将と呼ばれた。我孫子では2年間弥生軒で働いていた | 弥生軒弁当の包み紙は清の作品 |